Luminous

春の訪れとともに暖かい日が数日間でも続くようになると、チャンス!と言わんばかりにニューヨーカーは薄着になる。言うまでもなく、 長く暗い冬を経たばかりなのだから、街で見る露出された腕や脚は、どこかビタミン不足。みんな久しく太陽に当たっていなかったことが分かる。(著者も然り)。

カリフォルニアガールズといえば、かつて Beach Boys が歌っていたように小麦色に焼けた肌、砂浜を走るビキニ姿など容易にイメージできるけれど 、ニューヨークガールズはどうなのだろう。

コロンビア大学のキャンパス街に住む私が冬季によく遭遇するニューヨーク女子といえば、 古びたペーパーバックを片手にウールのコートに身を包んだ黒縁メガネの学生や、雪深いセントラルパークを粛々と歩くビジネスウーマンなどであり、彼女達はどこか近寄りがたい。

輝きたいという願望は女性にとっては万国共通であるが、太陽のように輝くのと、月のように輝くのではちょっと違う。よく「光る」という意味で使われる Shiny は 、テカテカしているという印象を与える可能性もあるので肌に関する表現には好ましくない気がする。では、Glossy はどうか。Gloss、つまり光沢であるが、これもどこか装飾的。そこで私が辿り着くのが、Luminousというなんとも素敵な単語。

15世紀後期に遡り、ラテン語の luminosus という言葉が原型となっているこの形容詞。Luminosus の意味は Full of light、光で満ちているということ 。そういえばフランス語でお月様はLune、ラテン語ではLunaである。この言葉が表すのは、ギラギラとした光ではなく、仄かで柔らかい、そう、月の光なのだ。

例えば最近日本でもよく見かける RMS Beauty社から発売されているクリーム ハイライターのLiving Luminzer 。この商品名も見事にこのLuminousという単語の意味と雰囲気を組み込んでいる。月光を彷彿とさせる淡い金色のクリームは、チークボーンや目頭にそっと指で付けるのがお勧めだ。

この商品は、YouTubeのビデオレビューなどでよく取り上げられている。ビデオの中で女の子達は、口を揃えてこう絶賛している。

「これを使うと、 you can glow from within」

“Glow from within.” 

つまり、内面から輝けるということ。

メークというものは、欠点を隠し、表面を美しく彩るものかもしれない。でも、女子はみんな知っているのだ。目指すのが太陽の光、月の光であっても、表面的な輝きではダメなのだ。この世に、内面から溢れる魅力に勝る光などないのだから 。

The cream always rises to the top

豆乳クリームじゃダメかしら。

豆乳クリームじゃダメかしら。

最近、ケメックスのコーヒーメーカーを購入してみた。おかげで大雑把な性格に似合わず、ゆっくりと時間をかけて朝の一杯を淹れている。ケメックスは、朝の光を帯びた珈琲がその薄いガラスの淵からコップへ流れる姿までも美しくみせる。仕事が忙しい時はブラックもいいけれど、優しい味が好ましい日には、 クリームが欲しくなる。蝋燭を吹き消した後に立ち上る一筋の煙のように、クリームは闇の中をゆっくりと上昇する。

まさにこの光景を思い起こさせるフレーズが、「The cream always rises to the top」 だ。いい加減に訳せば「クリームはトップ(頂点)へ上る」。そもそもこのクリームが何を意味しているかが重要。クリームは、牛乳の上層に集まる脂肪分。 調理法によってはフワフワにも濃厚にもなる、洋菓子には欠かせない、幸せも肥満も招く原料 。つまり「クリーム」は「良いもの」、「美味しいところ」の意。そう、この慣用句は、才能ある者や優れた者は、必ずいつか頂点へ登りつめ、 光り輝く存在として世界に認められることを表しているのだ。

ニューヨークは、才能を秘めた人、トップを目指す人達で溢れかえっている。そういった環境で毎日暮らしていると、ちょっとの間ご無沙汰していた知り合い が、 例えばニューヨーク・タイムズ紙に趣味の良いリビングルームを背景に撮った写真なんかと掲載されるような有名人に変貌することがある。少なくとも、そう感じさせる都市であることは間違いない。

そんな時、まだカップの底のほうで 頑張っている人達はカフェに集い、 異次元へと浮上した友人についてこう言うのだ。

やっぱり良いものはいつか発掘されるのね。The cream always rises to the top だもんね(溜息)。私も頑張らなきゃ。

この言葉が、そんな人達の努力を肯定、否定するかは、捉え方次第だろう。でも、ニューヨーカーがこの表現を使う時は、一種の願いが込まれているように私は思う。私やあなたが、まだ発掘されていないクリームであると信じる心。そして、ニューヨークこそがそんなクリームたちを必ずいつか見つけ出し、上昇を促す都市であるという願い。

この都市の人達は、今朝もコーヒー片手に忙しそうだ。

Take Out

テイクアウト、と聞いてあなたが思い起こすものは何だろう。私はとりあえずカリッと縁が焼けたパン 二枚に挟まれたジューシーなお肉、新鮮なレタス、トマト、透き通るほど薄いオニオンからなるハンバーガー。それに熱々の、豪快に塩がふりかけられたフライドポテト。それらすべてを茶色い紙袋に入れ、 店内の喧騒から離れていく。もう片方の手にはキンキンに冷えたコーラだ。ああ、追加のケチャップのパケットをお願いするのを忘れずに。ケチャップは、多いに越したことはないのだ。この国では。

テイクアウトは、便利さと軽快さを売りとしたファストフードの醍醐味だろう。けれども、この Takeoutという言葉を二つの単語に分け、場面を少し変えてみると、随分と違った表現になる。

毎年2月初頭に開催されるアメフトの優勝決定戦 、スーパーボウル (Super Bowl) に出場する(或いは出場を夢見て尽力している)選手たちを蝕むアメフトの身体的、精神的な代償を懸念する記事に、 “Take out an opposing player”という文章があった。ざっと訳してみると、「対抗する選手を取り除く」という具合。つまり、障害物を駆除する、破壊する、やっつけること。ポテトとハンバーガーだけが入った紙袋のようにひょいと取り除くにしても、スパルタン兵士のような大男二人がヘルメットをかち割るかのような怒涛の勢いで 相手をタックルするにしても、「敵」の存在があってこそ成り立つ表現だ。

全米をゲームのフィールドとした、今まさに沸騰中の大統領予備選挙にも、非常に合う言葉だと私は思う。

全米でテレビ放映される各党の討論会を見ていると、アメリカの指導者というものは、過去も現在も 「強さ」を何よりも求められるのだと改めて思い知らされる。 聴衆の感情に訴えかけ、鋭い弁舌を振るい、対立候補を言葉で take outすることも必要だが、やはりアメリカという国の前に立ちはだかる膨大な国際問題や課題を取り除いてくれそうなポテンシャルを持った人材を有権者が見極めるのが討論会。ボクシングなどの格闘技でよく聞く “K.O.”  (Knock out、ノックアウト)も、敵を打ち倒すという意味では take out に似ているが、“knock” はいかにも力任せの一撃を彷彿とさせるのに対して、“take” はより戦略的な気がする。もちろん、政治においてもどのような方法で障害物を取り除くかが肝心なのだろう。(心配なのは、その方法が極めて暴力的なものになるか否や…)

予備選挙が終われば、今度は二党から選出された候補者がいよいよ11月の本選挙に向けて討論会を行う。その都度、国民はテレビを囲み、takeoutしてきたファストフードの夕食をむしゃむしゃ頬張りながら、 見極めるのだ。どの有力候補者がより鮮やかに、巧みに敵を take out し、この国の未来をより輝かしいものへと導くのかを。

Resolution / Resilience

年末年始は、 RESOLUTION (レゾリューション)という言葉をよく耳にする 。New Year’s resolution .     つまり新年の目標、抱負。What’s your resolution? という問いかけから始まり、 年明けの希望に満ちたムードを反映した resolution がただの三日坊主で終わらないよう、様々な偉人が助言するといった系統の記事が多く出版される。

私は毎年この頃になると、映画『フォレスト・ガンプ』のある小さなシーンの台詞を必ず思い出す。主人公フォレストが、ベトナム戦争中に命を救った(救ってしまった?)ダン中尉と物悲しくニューヨークで年を明けるシーン。戦場で誇り高く戦死するという人生の目的と片足を無くし、やけっぱちの生活を送るダン中尉を取り巻くのは二人のキャピキャピ娼婦。その一人が、お祭り騒ぎのカウントダウン中にフォレストに囁く。

Don’t you just love new years? You get to start all over.  Everyone gets a second chance.

新年って素敵だと思わない?最初からやり直せるのよ。誰でも新しいチャンスが貰える。

そう、この台詞。 思えばなんて勝手な解釈だろう!日々は積み重ねだ。日めくりが1月1日になったからといって、去年の事柄がすべて清算されることは甚だない。でも、なぜかしっくりくる言葉だ。新年のどこか浮揚した社会の雰囲気の中では、こうした見解も現実味を帯びてくるのだから、なんてニュー・イヤーというものは不思議なのだろう。誕生日と同じく、日々あまり意識しない時の流れの容赦なさを感じさせるのがお正月。それでも、過ぎ去った過去を惜しむだけではなく、いやいやまだこれから、と明日への希望が捨てきれないのが人間だ。

くたびれたフェイクファーのコートに、アイライナーをしっかりと纏った娼婦が非常に可愛くみえる。

私も新品の手帖には必ずその年の resolution をリストアップする。Resolution の数をなるべく多くして、年が終わる頃には少なくともどれかは達成できるようにしておくというのが私の自己陶酔法であり、このままだと毎年同じような resolution が掲げられ、一生堂々巡りだろう 。そんな私が目標達成についてのアドバイスを提供できるはずもない。

そもそも resolution は、解像度という意味もある。年の初めに、紗がかかったような不明瞭な未来像のピントを合わせ、的を定める。Resolution の動詞形は resolve であり、何かをしようという決意、行為を表す言葉だ。では、決意を持ち続けるにはどうすればいいのだろう。 失敗しても立ち上がり、負傷しても回復する図太さ、そう、RESILIENCE (レジリエンス) が必要不可欠なのだ。この二つの言葉は少し似ているけれど、前者はいかにも堅そうな雰囲気なのに対し、回復力、弾力性を意味する後者は柔軟。Resolution は意識、Resilience はその意識を持って何かを実践する際の技法であると私は勝手に解釈している。

特にニューヨークのような次の瞬間何が起こるか分からない、そう、全てが時間通りに運営される東京と比べれば無法地帯と表しても良いような都市では、resolution よりも resilience が重要な気がする。何かが起きたとき堅いままでは粉々に崩れてしまうが、そこに少しでも余裕があると、ぽわん、と回復できる。

けれども、何があっても揺ぎない不動な resolution、新しい年の到来にセカンド・チャンスを見出す「意志」がない人間には、 resilience も生まれない。この二つの言葉は、いつも背中合わせなのか。